幽体離脱と分娩室での出生体験
それはそれは大昔、横須賀の米軍基地でインターンとして働かせていただいた時代がありまして、その時に、(8月ごろだったかな)産婦人科を2ヶ月ほどローテーションしました。
とある晩に、なかなか陣痛が起こらない妊婦さんがいました。夜中の12時を回っても何も進展がなく、同階の回廊をぐるぐると歩き回って陣痛が来るのをただ待っている状態でした。すると、産婦人科医のボスが「この人はしばらく生まれそうにないから、君は部屋に戻って眠りなさい」と言ってくれまして、忙しい日で結構疲労のの溜まっていた僕は、同階にあった自部屋に戻りました。着替える気力もなく、スクラブ(手術着)のまま、ベッドに倒れ込む形で眠りにつきました。
はたして、次にふと気づいた時には、僕はなぜかオレンジの空間にいました。とっても温かくて心地よい空間でした。しかし、そこかどこなのか考える間もなく、その空間から急かされるように無碍に押し出されました。同時に、まるで宇宙全体の空気を吸い込むようなそんな感覚に見舞われました。そして、気づくと僕は産婦人科の先生(僕のボス)の腕の中にいて、見慣れた分娩室の天井の大きな照明が見えました。
なぜか不思議とそこにパニックはなくて、「あ、そっか。私は〜という名のヒスパニックの女の子として生まれたんだ。はいはい、もう何千回ってやってるからわかってる。息をし始めればいいんでしょ。」と落ち着いた。まるで職人のような境地でした。そして、ふっと息を吸った瞬間に、僕はその身体から吸い出され、気がつくと、自分の部屋で目を開きました。汗ひとつかいていないのに、全身に羊水のベタベタした感じが残っていて、それが夢ではなかったというのは明らかでした。そして、ハッと思い、急いで分娩室に戻ると、例の女性が健康な女児を出産し終えた後だったのでした。
この奇妙な体験の間に、いくつか瞬間的に理解したことがありました。それは、我々は産道をとって出てくる直前に自分の選んだ肉体に入り込むということ、その瞬間に宇宙のあらゆる星々の配置のエネルギーをスナップショット(瞬間写真)として背負うということ、そして、我々は自分の名前を生まれる時点で既に知っているということです。と同時に、我々は皆、生まれてくる前に入念にこの人生のための準備をして、そのプランにあったように、生まれてくるタイミング(出生日時間)も、出生する名前も、きちんと自分で決めてくるんだと瞬時に知りました。
こんな経験をしたものですから、例えば生まれた日(時刻)の星の配置のエネルギーを調べる占星術や、出生名に宿った数名学的なエネルギーを探るソウルプラン(或いはソウルコントラクト)というものに出会ったときに、僕には、それらがデタラメな気休めなどではなく、理路整然とした科学的ツールとして映りました。
さて、そのソウルプランによりますと、僕の人生の前半期は、「常に支配され束縛されながら(昭和の時代に普通にいた暴力教師や魂を削る受験戦争、そして医師としての肉体的、精神的に過酷な日々)、人との繋がりに恵まれて助け合い鼓舞し合い、禅僧のような集中力で物事を徹底的に追求して、やがて創造者としての自分に目覚める」というテーマ (17-8 / 7-7 / 6-6) だったようで、こうして突入した後半期は、「自分の神性にまだ気付けずに誰か著名な人を崇めて追ってしまうスピリチュアルな未熟さを経験して越えることで、自分自身の極めて勇敢で男性的なスピリチュアルな能力に覚醒し、最後は、人々に愛と智慧を配ることになる」 (9-9 / 5-5 / 12-3)という流れだそうです。人生を通してのテーマは、「躓いては立ち上がり、耐え難きを耐え、忍びがたきを忍んで、その過程で多くの智慧を得て達観し、やがて何度も崩されながらも、積み木を積み立てて大きな建造物を築くこと」(11-2)だそうで、僕のclaircognizant的な解釈では、11-2には、古い自分が死んで、新しい自分が現実化する(1111)という意味合いもあるように思います。
ついこの前に51歳になりましたが、自分のソウルプランに記されているように、46歳頃から僕のスピリチュアルな覚醒が加速してきているのがわかります。
決して、文章がうまい方ではありませんし、誤字脱字も絶えないかと思いますが、元々エネルギー・チャネラーなので、僕の書く文章には結構パワフルで独特な波動のエネルギーが宿うようです。これから時間を見つけた時に、色々書かせていただこうと思います。スピリチュアルなことにご興味があり、「今日はちょっとエネルギーが枯渇してる」とか感じる時に、僕の文章が何かのお役に立てればと思います。