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​サント・ボームの大天使ポータル

(マグダラのマリアの軌跡・後篇)

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 南フランスのサント・ボームへ行く最寄りの空港はマルセイユ空港になります。僕的にはマルセイユ自体にも立ち寄りたいと、行く前に思っていたのですが、ローマからのインフルエンザ様の症状で体がもう限界近くのボロボロで、しかも「マルセイユは治安があまり良くないから」という友人からの忠告もあり、結局、リムジンサービス的なものを手配して、空港から直でサン・マクシマン・ラ・サント・ボームに向かうことにしました。

 

 空港に降り立つと、生暖かい潮風が吹いている物憂い夕刻で、リムジンサービスの車から夕焼けに染まった遠くの丘を眺めながら、ちょっとだけなんとなく身体が楽になりました。

 

 

 

 そして到着したサン・マクシマン・ラ・サント・ボームでは、サン・マクシマン教会と繋がった修道院的な建物が、今はホテルとして利用できるというのでそこに二泊しました。到着した頃にはもう夜で、部屋に荷物を下ろすと、真っ先に隣にある教会に向かいました。11月末ということで、吐く息が小さな街のクリスマスの煌びやかな装飾に映える頃で、ふと人恋しくなる気持ちで胸がいっぱいになりました。体の調子がすぐれなかったこともあり、正直、誰かの胸に倒れ込んでしまいたい、そんな弱音を吐きそうな状態でした。ま、でも、すぐに自分を取り戻し、重くて大きな扉を押して、人気の少ない薄暗い教会の中に入りました。

 

 

 

 

 (いつものことですが)どこに何があるのか下調べしていなかったので、しばらく彷徨いましたが、ぐるっと回ったところに地下に向かう階段をやっと見つけました。そして、すぐに、サン・ジョバンニ・デイ・フィオレンティーニ教会の時のような不思議な気持ちになってきました。ステップを何段かおりていった突き当たりに、マグダラのマリアの頭蓋骨が安置されていました。お決まりのキーンっという音に包まれ、その場に座り込んでしまいました。しばらく呆然と佇みながら、「やっと、たどり着いた」という達成感とかよりも、なんとも名状し難い安堵感というか郷愁の念みたいなものが入り混じり、胸がいっぱいになりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その夜は、ホテルの薄気味悪いぐらい真っ暗な回廊を抜けたところにあるレストランで、なんとか夕食を済ませました。フランス語は全くわからないので、何を頼んでいいのかわからず、いまだに何を食べたのかわかっていません。なんかシチューっぽい感じの液体に野菜が入った感じのもの?ま、とにかく、その日は歴史を感じる不思議な波動の部屋で眠りにつきました。

 

 翌日の朝は、予め申し込んでおいたリムジンが時間になっても現れず、ふと携帯でメールをチェックすると、ドタキャンセルのメールが届いていて、「へっ、そんなんあり〜?」って途方に暮れました。こういう大切な時ほど、こういう事態が起こるのは僕の人生の常ですので、腐らず、焦らず、塞ぎ込まず、「There’s always a way!」の精神で心を落ち着かせ、結局、ホテルのフロントの人にタクシーを呼んでもらうことになりました。後で思ったのですが、レンタカーとかしないでよかったです(旅に出る前は、レンタカーの方が自由がきくかなあ、とか考えてました)。サン・マクシマン・ラ・サント・ボームから結構距離があり、断崖絶壁みたいな細い山道を通ったりするんですよ。僕みたいな運転技術の未熟な者には、サスケレベルの難関だったと思います。

 

 そんなこんなで早朝に到着したサント・ボーム山の麓には、ここにも元修道院(?)みたいな建物がポツンとありました。今はユース・ホステル的な波動の宿泊施設になっているらしく、ここに宿泊する人も少なくないようですね。例のジュディー・サトリもここに泊まって、例の録音の音源を作成したようです。僕的には、頭蓋骨になるべく近いところに宿泊したかったので、そういう選択肢は考えず、迷わずにサン・マクシマン・ラ・サント・ボームのサン・マクシマン教会と繋がった元修道院のホテルにしましたが。

 

 さて、ここから登山です。最初は、特に目印も看板もなく、草原を突っ切る畦道のような小道があるだけでした。仕方なく、「こっちだよね、きっと?」と勘を頼りに辿り山の麓の林までとぼとぼ歩いてみます。

 

 

 

 

 

 林に入って少しすると、やっと「こっちでんがな!」と看板があり、それを頼りに一歩一歩登り始めました。登山というほど傾斜がキツい山ではないという感じでしたが、あちこちからキンキン音が僕の頭を貫き、なぜが息も苦しくてきました。元々ローマ滞在以来ずっと身体がボロボロであったことと、しかも朝から何も飲み食いせずに到着したことも重なり、胃酸が逆流してきていて、咳を何度もしながら、最後には胃液を嘔吐するといった一連の動作を断続的に繰り返し、何度も意識が飛びそうになりながらのフラフラの登山となりました。

 

 「覚悟していた以上に、キツい…..。でも、歩き続けろ。(エネルギーや波動的な意味で)戻る場所はもうないんだよ。」

 

 僕の人生は、常に種々の苦難を「今日も一針、明日も一針」の精神で越えゆくことがテーマであるからか、これまで、中島みゆきさんの歌はいつも僕の親友です。今回の旅でも、倒れそうになりながらも必死に一歩一歩と歩みながら、中島みゆきさんの「India Goose」をずっと口ずさんでいました。

 

 どのくらい登ったのでしょうか。やがて目前に断崖絶壁に切り立つ建物が見え、そこから長い石段が続きました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 なんか恐山みたいな畏怖すら感じる石段を上り、たどり着いた洞窟。冬の超早朝ということもあり、僕以外誰もいませんでした。そこから見下ろす景色は、きっと「絶景」なのかも知れませんが、もう意識がどこか別次元に行ってしまっている感じで、そういうものを認識できる状態ではありませんでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 薄暗い洞窟内は冷蔵庫レベルに寒く、上から冷たい雫がポツポツ落ちてきます。やがて足先の感覚がなくなりながら、結局6時間ぐらい、祈るふりをしながら、椅子に座って瞑想していました。瞑想というか、意識が本当にどこかに行ってしまっていたので、ほとんど記憶に残っていない状態での、なんらかの儀式か、イニシエーションといった方が正しいかもしれません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 やがて目を開けて立ち上がりました。全身の力がもうほとんど残っていないので、まるで崩れ落ちるように下山しました。

 

 麓の例の建物にはカフェがあったので、タクシーのおじさんが戻ってくる約束の時間まで、そこで一息しました。「フランスに来たら、クレープとクレーム・ブリュレは必須!」と、どこからか食欲も戻ってきていて、ホッとした笑顔でカプチーノを啜りました。

 

 ということで、イェシュアのツインフレームであるマグダラのマリアの軌跡を巡る旅でした。

 

 もちろん、僕のガイドは、これだけでは終わらせてはくれず、今回のヨーロッパの旅は、(旅に出る前には一切想定していず、マルタ島に到着してから予定変更を余儀なくされた感じだったのですが)ヨーロッパにある聖母マリアのヒーラーのためのポータルも二箇所訪れるように、さらに展開してゆきました。これに関しても、また後日書かせていただきますね。

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