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中・南アメリカ大陸での過去生の浄化

​(イグアスの滝にて)

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 これも何年も前のことですが、医学カンファレンスでブラジルのリオデジャネイロを訪れる機会がありました。その昔10年ほど米国に住んでいたので、北アメリカは第二の故郷的な場所なのですが、南アメリカ大陸は全くの初めてで、しかも英語以外は全く話せないので、ちょっと不安と緊張もある旅となりました。ここオーストラリアからは、東に飛んで、チリを経由するのが定石のようですが、なぜか西に飛んでドバイを経由する空路を選んだので、とても長い旅路となりました。

 

 この時も、カンファレンスのためとは言え、せっかく訪れるのだから、中・南アメリカでの過去生で僕が残した全てのネガティブ・インプリントを一気に除去してもらおう、と企ててもいたのでした。

 

 米国の親友のナタリアや、自分のハイヤーセルフに綿密に相談して、カンファレンスの他に三つの目的地を加えました。一つがコルコバードの丘にあるキリスト像、二つ目がコンゴーニャスにあるボン・ジェズス・デ・マトジーニョス聖堂、そして最後にイグアスの滝でした。最初の二つは、イェシュアとの繋がりから、ぜひ訪れてイニシエーションをもらっておきたい場所ということで、イグアスの滝は、バンフ国立公園での「北アメリカの過去生の浄化」(別記)に続いて、「中・南アメリカの過去生の浄化」を行ってもらう場所ということでした。

 

 ホテルはそこそこの立地で、一応イパネマ・ビーチをちょっと外れてちょっと角を何度か曲がった向こうの高台みたいなところにありました。ま、でも観光で来たわけではありません。カンファレンスの会場や開始時間などに留意しつつ、僕のスピリチュアルなアジェンダにも心をしっかり馳せるので心が一杯でした。ま、歳なので、水着を着てビーチに出ることには、もう興味が湧かないんですけどね(笑)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 さて、キリスト像ですが、当初は、山の麓まで行って、そこから山道を本格的に登山して、山頂のコルコバードの丘の上にあるキリスト像まで行こうという壮大なプランを考えていました。きちんとそのための登山道がしっかりできているようで、登り切った時の感動とかを勝手に想像して酔いしれていました。しかし、これは中・南アメリカ全体に言えることなのかもしれませんが、基本、治安が良くないので、こういう一見オシャレな個人プレーは下手をすると命を落とすことに繋がりかねないんですよね。現にこの山道で襲われたという犯罪が結構頻繁にあるんですよ。なので、結局、僕はツアーに参加して訪れることで妥協しました。

 

 これからコルコバードの丘を訪れようと考えている方にお勧めですが、朝一番にキリスト像を訪れるのを売りにしているツアーが幾つかあります。普通のツアーとかで真昼間の営業時間に訪れると、もう人だらけで、写真を撮っても、人混みばかりが写り込んでしまって、映えないそうなんですよ。僕がツアーで早朝に訪れた時は、僕たち以外誰もいず、キリスト像も完全にうちらだけで独り占めでした。よって、一人で静かに瞑想する時間も持てましたし、結構素敵な写真も撮れました。この像の裏側には礼拝堂みたいな小さい小部屋への入り口があり、そこで瞑想をすることができます。逆に、あまりに人が少ないので、撮った写真のキリスト像が実際よりも小さく見えて、「これ、東部ワールドスクエアで撮ったの?」と言われてしまうほどです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 因みに、像のすぐ下のバス昇降場や、もっと下にある丘の入り口にもお土産屋はあるのですが、正直、「もっと頑張ってくれてもいいのに」という品揃えが残念です。僕は下の写真のようなペンダントも持っていて(これはebayで買いました)、こういう商品みたいのがたくさん売っていて、選ぶのに困るだろうと期待していましたら、手彫りの石灰岩のキリスト像(明らかに手作りなので、作った人のエネルギーが入りまくっているんです)とか、別にここで買わなくてもいいような普通の鞄とか、こういう分野がお得意の日本人のテーストからすると、「えっ?セレクション、これだけ?」と拍子抜けする感じです。別に「コルコバード温泉まんじゅう」とか「コルコバードのマスコットの『バードちゃん』のキーホルダー」とか、そういう方向性のものは要らないんですけど、せっかくはるばる遠路来る人も多いので、「ここでしか買えない」思い出に残るスピリチュアルな逸品をお土産に用意してくれているといいのにな、と正直思いました。

 

 

 

 

 

 

コンゴーニャスへは、まずリオから国内線でベロオリゾンテまで飛んで、そこからツアーに参加する形となりました。ツアーと言っても、観光で有名な場所でもなんでもないのでこじんまりしたものでした。参加する時点で「最低2名の参加が必要」となっていて、仕方ないので、2名分を支払い、当日は、「参加する予定だった妹の体調がすぐれないので、僕だけで行きます。あ、もちろん妹の分の返金とかは要りませんから。」と小芝居を打ちました。結局、客は僕だけで、あとは若い運転手と、ガイドのお爺ちゃん(この二人、親子なのかな?)でコンゴーニャスにあるボン・ジェズス・デ・マトジーニョス聖堂に向かいました。

 

 たどり着いたコンゴーニャスは、かつて炭鉱が盛んであった「夢の跡」みたいなのが明白な、ちょっと殺伐とした波動の街で、ボン・ジェズス・デ・マトジーニョス聖堂自体も、修繕の真っ最中であまりパッとしませんでした。ま、でも観光で訪れたわけではないので、そこにいる間にイニシエーションをくれるようイェシュアに頼んで歩き回りました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 リオに戻ってから、カンファレンスでまた数日過ごしました。さあ、いよいよ最後は、イグアスの滝です。イグアスもまた、リオから国内線で移動です。イグアスは、ブラジルとパラグアイとアルゼンチンの三つの国の国境にある滝ですので、この辺りに住む人々は、スペイン語とポルトガル語の両方を話すそうで、結構両者が混じった独特の方言もあると聞きました。

 

 本当はレンタカーを使った方が動きやすいかなあ、とも思っていたのですが、元々英語以外話せない上に、滝のブラジル側とアルゼンチン側の両方を一日で巡ろうとすれば、途端に迷子になるのは目に見えていましたので、ここでもツアーに参加することにしました。ツアーと言っても、蓋を開けてみたら、客はこれまた僕だけで、地元の女性が自家用車でマンツーマンで案内してくれました。さすが地元の人で、とても要領よく回らせてくれ、とても助かりました。

 

 まずブラジル側の滝を巡る遊歩道を歩き、水着を急遽買って滝壺までいくボートツアーに参加しました。ちょうど前の日に大雨が降ったせいで、水は茶色に濁っていましたが、水飛沫を浴びながらの散歩は圧巻でした。

 

 

 

 そして、午後には車で国境のオフィスを通過してアルゼンチン側に連れて行ってくれました。オフィスでの手続きは、この女性が隣にいてくれたので、とても楽でした。アルゼンチン側は、ブラジル側よりも全然広くて、ジャングルの中を巡る遊歩道が網羅された巨大パークとなっていました。また、移動用の列車もあり、超上流の急な流れを見下ろせる場所へも連れて行ってくれました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 もちろん、ここに来た目的も忘れていません。「中・南アメリカにおける僕の全ての過去生において、僕が残したネガティブなインプリントを全て除去してください。」と何度もお願いしながら、1日過ごしました。

 

 そんなこんなで、カンファレンス以外にも盛り沢山であった日々もあっという間に過ぎ、オーストラリアへ帰国する日になりました。別記しましたが、僕は旅行にはとにかくお金をかけない主義なのですが、これはカンファレンスのための旅行でしたので、オーストラリアとブラジル間の飛行機だけに関しましては、病院が払ってくれるということで、ビジネスクラスを選ばせていただきました。ということで、真夜中のリオデジャネイロの空港から、ドバイ行きに飛行機に乗り、ゆっくりと平和な気持ちで横になりました。

 

 はたして、悲劇は突然やってきました。

 

 今振り返って考えれば、バンフ国立公園で除去をお願いした「北アメリカにおける僕の全ての過去生におけるネガティブなインプリント」では、せいぜい含まれてもアメリカン・インディアンの時代の過去生までぐらいだったのでしょうが、「中・南アメリカにおける僕の全ての過去生におけるネガティブなインプリント」と言ってしまうと、当然、マヤ文明、アステカ文明、インカ文明など、数限りない過去生が一気に含まれてしまうんですよね。浅はかでした。

 

 ビジネスクラスの座席を倒して、ゆっくり眠るはずが、お腹が次第に不穏になり、ギュルギュルギュルと音を立て始め、お腹がグッグーっと締め付けられるように痛くなってきました。普通の人なら「急性腹痛」ということで「この飛行機にドクターは搭乗していらっしゃいますか?」とかアナウンスがかかってもおかしくない痛みでした(っていうか、僕自身が救急の専門医なので、正直、他の医師は要らないんですけどね)。しかし、痛みの閾値が高いので歯を食いしばってなんとか堪えていると、今度は、猛烈な便意が襲ってきました。急いでトイレに駆け込むと、なんとか間に合ったものの、ここでは表現できないような惨劇でした。そんなこんなでドバイに到着するまでの間ずっと、何十回もトイレを行ったり来たりして、終いには「この人、トイレで何か怪しいことでもしてるんじゃないかしら?」といった目で周りの客に見られ始めました。そして「最終着陸態勢に入っていますので、シートベルトを着用してください」の指示がかかると、なんとか渋り腹を宥めて落ち着こうと努めましたが、機体が着陸した地点で便意が超マックスになりました。耐えかねて、ひとり立ち上がりトイレに向かって走ると、当然、数名のフライトアテンダントに追いかけれて、ほぼ拘束状態となり、周りの客から「この人、テロリストか何か?」みたいな冷たい目で見られました。なんとか事情を説明し、なぜか鍵のかかったトイレを開けてもらうと、そこには、ビジネスクラスの僕たちが使用したマットレスが山積みにされていて(これには周りの客も驚いていました)、それを一つ一つ退けてもらい、なんとか間に合いました。ドバイの空港に降り立った時には、もう脱水も甚だしく、全身が痺れていて、口の中がベタベタを通り越してからっからで、意識もいつ倒れてもおかしくないくらい朦朧としていました。

 

 ドバイでは7時間ぐらい時間があったので、ビジネスラウンジに向かいました。正直、お腹が空いてどうしようもなかったのですが、食べてもあっという間に全て出てしまうので、炭酸水だけを何本も飲み続け脱水だけをなんとか回避して過ごしていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ドバイからメルボルンへの便では、お腹の中はもう空っぽでしたので、幸い、もはや便意はありませんでした。しかし、次第に熱が出てきていて、ウンウン唸りながら浅い眠りを彷徨い続けました。

 

 なんとか入国審査を通り、オーストラリアの自宅に帰ってからも、約4日ほど熱が下がらず、全身が重だるいままで、結局、仕事を病欠し、ウンウン唸りながら毎日ずっと眠り続けてました。このまま死んでしまうのではないかと思うほどに苦しい日々でした。

 

 ということで、僕の「中・南アメリカの過去生の浄化」は、「北アメリカ」の時とは比べものにならないほど、半端なくキツいものとなりました。ま、でも、こうして元気になってから振り返ると、「効率は良かったなあ」と思います。各国ごとに浄化しようとすると、永遠に時間と手間がかかりますが、こうして大陸ごとに行えば、その時は死ぬような苦しさを味わいますが、いずれ終わってしまえば「グッジョブ!」であり、結局、カナダとブラジルの2回の旅を通じて、僕はアメリカ大陸全体における過去生を浄化できましたし。

 

 次回は、ここオセアニアにおける過去生の浄化について、書かせていただきます。